現在のページは ホーム > 研修内容 > 利用者の声 に関するページです。
(株)吉池 木村 友紀
私が禅道場で学べたな、成長出来たな、と思うことは静かにする事の大切さです。普段の私は何かあると思ったことをすぐに口に出し、不平不満を言うことが多かったのですが、食事中や移動中私語を慎むことで不満の心を持ってしまっても自分の中で消化出来たと思いました。また思ったことをすぐに口に出すというのは反抗的で身勝手な行為だと自分でも前々から思っていたので今回の研修で直すきっかけにもなり、感謝しております。
そして日常では体験出来ない坐禅を組ませて頂いたことにより、我慢すること、耐えることの大切さを発見、勉強出来ました。普段の生活では我慢や耐えることをしない生活をしているなという自覚はあるけれども楽な方へと流れる生活をしていました。それで最初坐禅を組んでいてもすぐに集中力が切れてしまい苦痛なものとなっていましたが、だんだんとそれが苦痛でなくなってきた時自分自身の成長につながったのではないかと思います。
これからは禅道場で学んだ、静寂を尊び、耐える気持ちを持った公徳心のある社会人になれるように日々意識を高めて過ごしたいきたいと思います。ありがとうございました。
東京マスダ学院 豆生田 美和
坐禅とは、
禅宗などで、静坐をして精神を集中し、さとりを得る修行。(現代国語辞典)
私は坐禅を甘く見ていました。ただ静坐するだけでも良いものと考えていました。俗世を離れ、人格形成を目指す修養の場であることを、建築物案内時に感じました。
現代、豊かになり能力や技術を習得すれば社会に出て何でもできるという陰で、他人に対しての思いやり公徳心を少しずつ失っていると感じました。私は、自社訓の中に「自分に厳しく、礼儀正しく」とあるように、自分だけ良ければいいのではなく、常に他人を思いやらなくてはいけないと強く研修中に感じました。私だけ辛く痛いのでなく、皆同じであるのです。
たった十五分の胡坐は、時間の長さとの戦いでした。足腰の痛み、慣れない姿勢は辛いものでした。しかし、時間が経つにつれ、朝昼夕それぞれの坐禅は全く違いました。無心は出来なかったもの、開眼状態の中、眠気と空腹、雨音と虫の音は耐え難くても、時間の大切を改めて実感し、ほんの少しでも心が豊かになったと感じました。